2008年9月30日火曜日

入寮初日!



29日深夜(正確には現地時間30日午前1時)。寮の部屋より。昨日から、いよいよ寮での生活が始まった。寮への移動は、ホテルの奇麗なお姉さんが「private hireを呼んであげましょうか?」と言ってくださったので、その親切な申し出を断るのも無愛想だと思い、すんなりと「お願いします」と言った。。。心の中では「おそらく高くつくだろうな・・・」と思いながら。。。自分としてはホテルの前からイギリスで有名なオースティン型のブラックキャブに乗るつもりだったのだが、やって来たタクシーは普通の乗用車でメーターもなかった。かなり不安だったが、寮までの乗車できっかり£10だった。チップもいらない感じだった。トータルで高いのか安いのかは分からないが、結果的には心配していた値段ほどでもなく一安心。寮に着くとチェックインを済ませ、鍵をもらった。部屋に行く際に、「データケーブルは持っているか?」と訊かれ、「はい、持っています」と答えると、「本当?」という反応。「ええ、持って来ているんです。」と再度念を押すと、「Fantastic!」とえらく喜んでもらえた。というのも、受付のおじさんによると、部屋でのネット接続はワイヤレスではなくて、ケーブル接続で、そのケーブルが今フロントではもう貸し出し切ってしまっているので、明日の朝にフロントに取りに行く必要があったからだった、らしい。ということで、「まさか、必要ないだろう」と思ってわざわざ日本から持って来たLANケーブルが、ここでようやく活きてくれたのである。日本でもいくつかのホテルでは今までLANを持参していて結構役に立ったことが会ったので、「念のため」と思っていたのだが、これだけは予想が当たってちょっと嬉しかった。さっそく、部屋に重い荷物を運んで(と言っても、今回は前のホテルに比べればエレベーターがある分かなり楽だった。)部屋の様子を調べてみた。部屋の位置はかなりいい場所をあてがってもらったように思う。1階の部屋だし、入り口からも近いし、食堂にも近い。部屋それ自体も結構広くて、隣の人の声とかもほとんど聞こえてこない。シャワーの湯量も十分で、たっぷりと熱いお湯が出てくれる。お湯を沸かせるポットも付いていて、簡単な食事も部屋内で十分にとることができる。しかし、実際使い始めると、いきなり、入り口の電灯のランプが切れていたり、シャワーヘッドを掛けるホルダーが割れてつぶれていたり、シャワーカーテンは付いているものの、それがシャワータブの中には入らない設計で、ただのシャワーとトイレの区切りにしかなっていないため、一度シャワーを浴びればバスルーム全体の床がびしょびしょになるような構造だということに気がついた。先ずは部屋の壊れている部分や傷がついている部分の写真を入念に撮影しておいた。これは、前回のオリエンテーションで教えられたアドバイスに従っただけのことである。そして、設備のチェック表に早速ランプとシャワーヘッドホルダーの不具合を書き入れて、フロントに提出し、必要な日用品を買いに近くのお店まで出て行った。大学の寮はPaddington駅のすぐ近くにあるので、記念とお土産も兼ねてPaddington Bearのマグカップを駅構内で購入。なかなか気に入っている。
  次に、紅茶と緑茶のティーバッグを買いにこれまた駅構内のSainsburyに行くと、面白エピソードがボクを待っていた。なかなかティーバッグが見つからなくて、店の中をウロウロしていると、ガードマンのお兄さんが怪しんだためかやっぱり声をかけてきた。「I have a question for you.」だって。。。。「なっ、なに?ボク何もしてないよ」と思ったが、その質問とは「How do you say "Give me" in Japanese?」だって?! 「は?」と思ったが、「Kudasai.」と答えた。どうやら、日本語を勉強中のガードマンさんらしい。(でも、ボクを見ただけでなんで日本人って分かったんだろ?)暫くそのお兄さんとお話をすると、別に本格的に学んでいるわけではなくて、日本人が喋っているのを聴いて独学で言葉を拾っているんだって!すごい・・・。他に「ミミ?メ?ハナ?」とか知っている言葉をどんどんだしてきて、最後には「ゼンノココロ?(禅の心)」という言葉まで飛び出した。そして、ボクが持っていた買い物かごを指差して「カゾ?」とか言ってきたので「No, no, カゴ。」と訂正した。新しく覚えた「クダサイ。」がよっぽど嬉しかったらしく、ボクにティーバッグがある場所を教えてくれた後、ボクの顔を見るたびに「クダサイ。カゴ。」と何度か言って来た。でも、レジに並ぶ少し前に「Exactly speaking, we say カゴヲクダサイ。」と言ってあげた。そうすると「Ah~! 」と言って、その場で何度も発音練習をされた。そして、サヨナラを言った後、「なかなか寮の周辺デビューは幸先が良さそうだ」と思って、店を後にした。
  部屋に戻ると、スーツケースの中身を棚やチェストに入れて、買ってきたものなども使いやすいように整え、いろいろと動き回った。晩ご飯の時間になったのだが、一度、寮の食堂を覗いてみようという軽い気持ちでまずは食堂がどこにあるのかを探しに行った。食堂は地下一階にあり、日曜日だったからか人も少なそうだったので、思いきって入ってみた。ツナのラビオリと温野菜をお皿一杯に盛ってもらい、それにフルーツの詰め合わせパックとミネラルウォーターを一本取った。値段はそれだけ取って£3.75だった。この安さには感動した!味もそんなに悪くないし、これは本当に有り難い。今までの晩飯の値段の半額以下くらいの値段である。しかも、後で気づいたことだが、お水は無料のセルフサービスのものがあった。今後は頻繁に朝夕お世話になることと思う。その後は、大学寮内をいろいろと見て回った。BarにLaundrette、Music RoomやStudy Room, Common RoomにShared Kitchenなんかもある。Music Roomからは、ピアノで奏でられたバッハの難曲が漏れ聞こえてきた。一つの寮と言っても、一つのコミュニティーと言った感じだ。晩ご飯後は、ネットで視聴可能になったBBCのテレビを暫く観た。BBCのTV番組は「iplayer」という独自のMedia Playerで、オンデマンド配信されている(http://www.bbc.co.uk/iplayer/)。イギリスに住んでいて、ブロードバンドでネットに接続できる環境のPCがあれば、TVがなくともほとんど全ての番組を観られる仕組みになっているのだ。素晴らしい。その後は、久しく遠ざかっていた日本のニュースもYahoo動画ニュースで、緑茶を飲みながらみていた。まるで日本にいるような気分だった。日本のネットテレビGYAOをこちらでみることは不可能だが、Yahoo動画ニュースはみることができる。そのため、日本の最新情報もイギリスにいて欠かすことなくチェックできるのはこれまた大変有り難い。後は疲れていたためか、そのまま寝入ってしまった。(普通、ボク自身は、寝床が変わった一日目は結構疲れていてもほとんど熟睡できない質だが、なぜか入寮初日というのにもかかわらず、爆睡できた。これから察すると、ベッドの寝心地も周囲の環境もけっこう快適なものだと思われる。)

2008年9月28日日曜日

ホテル暮らしとのお別れ→いよいよ入寮日!



<28日(日)、午後1時過ぎ>3週間続いたホテル暮らしも今日で終わりを迎える。今日も晴天で、日曜日だからか図書館はひっそりとしている。ホテルのスタッフの方々も、幾人かはもうボクの名前と顔を覚えてくださったみたいだ。昨日の夜、ホテルの宿泊費を払って、タオルを交換しに行ったのだが、ホテルの本館に入る際、ベルを鳴らすと、気の優しい黒人のお兄さんがドアを開けてくれて「Hello, Mr. XXX, how are you?」と尋ねてくださった。意外な応対に少し戸惑いながらも、いつもの通り反射的に「I'm fine. Thank you.」と答える。「宿泊費を払いに来ました、それとタオルも交換しに。。。」と言うと、「じゃ、先に階下へ行って、交換して来て」と言われ、交換しに行く。階段を下りると、今度は別のお兄さんがボクの顔を見るなり、「Hey!」と声をかけてくれたので、ボクも最初は調子に乗って「Hey!」と答えてしまった・・・慌てて、すぐに「Hello!」と言い直すと次の瞬間には「タオルだね。ちょっと待って。」と言われ、すぐに新しいタオルを持って来てもらえた。後はreception deskに再び戻り、宿泊費をカードで払った。支払った後、レートを計算してみると、£1がだいたい195円くらいになっていることに驚いた。「ちょっと円が強くなってるかも」と少し喜びを覚える。ただカード払いの場合、手数料で代金の4%分もプラスして取られてしまったのだが。。。。
  昨日の日中はやはりあまりにも天気がいいので、ちょいと体を動かしたくなり、再び文学散歩に出かけた。おそらくもうこんな呑気なことができるのも、あるいは、今いる絶好のスタート地点(宿泊場所)を活かせるのも今日で最後だろうということで、先ずは図書館に行って、いろいろと下調べをした。漠然と思い浮かんだ一つ目が、映画『ノッティングヒルの恋人』の舞台になった「ノッティングヒル」という地名だった。ネットで調べているとこの映画についてロケ地に至るまで詳しく書かれているサイト(http://britannia.cool.ne.jp/cinema/title/nottinghill.htm)を発見。読んでいると、ちょうどNotting Hill Gate近くで毎週土曜日に開かれるPortbello Marketが面白そうだ、ということで、早速地図で行き方を調べた。映画の冒頭あたりのシーンでヒュー・グラントがこのマーケットを背景に歩いている場面がすぐに頭に浮かんだからである。もう一つはJane AustenのBlue Plaqueはないものか?と例によって、BluePlaque.comで検索。2件ヒットした。これは意外だった。というのも、Jane Austenは、田舎暮らしのイメージがボクの中では強かったからである。意外にもロンドンに滞在したことがあったのだ。しかも、一件目は、ついこの間訪れた、旅行ガイドブックに載っていた伝統的なイギリス料理を食べられる店「Porters」がある、同じ通りの「Henrietta Street」ではないか!さて、そうすると、大体一つのお散歩経路が出来上がった。まずは、Gower Streetから390番のバスに乗って、Notting Hill Gateまで。そこからMarketを見物しながら、Portbello Roadを北上し、Ladbroke Groveまで歩く。そして452番のバスに乗って今度はSloane Streetで下車。Austenの二件目のPlaqueがあるHans Placeまで歩く。そして、19番のバスでPicacilly Circusまで乗って、そこからStrand通りまで南下。Bedford通りに入って北上し、二つ目の通りを右に入ればHenrietta Streetに到着する。そこからは徒歩でホテルまで帰ることが可能である。このように大体西へ一回りするコースを練った。Portbello Road Marketはなかなか面白い。さすがに晴天に恵まれた土曜日ということもあって、ただMarketを見物しにくるボクのような観光客も多数いて、写真をパシャパシャ撮ってもなんら不思議に思われないような状態だった。ものすごい数の屋台(Stall)と、売っている物が面白い物から怪しそうなものまでバラエティーに富んでいてなかなか興味深い。このMarketを後にした後、バスでSloane Streetへ向かったのだがそのギャップが面白かった。Sloane Streetは高級ブティック街なのだ。。。無事にHans PlaceのPlaqueを見つける。Austenはここに1814年と、1815年それぞれ1〜2ヶ月程兄のHenryと一緒に滞在しているらしい。お次はHenriettaの10番だが、これも難なく発見。Austenは1813~1814年の間ここに滞在していたのね。。。。あのレストラン「Porters」よりわずか数十メートル歩いた先にあったのだ。 なるほどね〜。知っていれば、先日レストランに行ったついでに写真を撮ることができたものを・・・。ホテルに帰ってからは、あのおいしい近所のイタリア料理店で再びカルボナーラを食べた。やっぱり今度もおいしかった。3週間のホテル生活は本当に楽しかった。まだ観光気分が抜けきれていないが、これからが本当の勝負だ。。。ってそんなことばっかり言っているような気がするが・・・。ホテルの人たちは本当にみんないい人たちで、朝ご飯のEnglish Breakfastは、今日の朝以外7日に到着してから毎朝食べてもべつに飽きがこなかった。特別贅沢なホテルという訳ではないけれど、生活に必要な物はすべてきちんと機能していて、何不自由のないきわめて快適な生活だったと思う。これから寮へ行ってきます!

2008年9月26日金曜日

"Cheers, man!"



26日金曜日。お昼の12時、大学図書館より。今日は素晴らしくいい天気だ。昨日も午前中は晴れていたが。肝心のお墓を歩き回る時間帯は今にも雨が降りそうな曇天模様だった。お墓には昨日我慢して、今日行けばよかった。。。と少々後悔も。。。今日は気になった言葉をまとめておく。昨日読んだお墓の歩き方の説明で、一言にお墓と言ってもobelisk(オベリスク=方尖塔あるいは柱)やmausoleum(ムスリム=霊廟)があることを知った。Burnhill Fieldsで見たDefoeのお墓は間違いなくobeliskだったし、昨日見たBirkbeckのお墓はmausoleumなのだ。英会話編としては、“Cheers, man!”という言葉かな。こちらでは、ちょっとした町中での小さな親切には、わざわざ“Thank you.”とは言わず、このフレーズを使う方が多いようだ。昨日の夕方、UCLのメインキャンパスに行く道中で、フリーの夕刊をもらった時や、ドアを次の人のために開けて待ってあげていたり、町中で道を譲ってあげたりした際には、よくおっちゃんやお兄ちゃんが“Cheers, man!”と言ってくれる。これに対して何かしゃれた切り返しのフレーズはないかと現在耳をそばだてているところである。
 <追記(27日/土曜日/午前)>晴天が続く。昨日も終日図書館での予習を続けたが、一点だけ用事があった。一昨日、School of English & Humanitiesの大学院管理者から授業料減額の通知の手紙を取りにきてほしいという連絡が入ったため、その方のもとへとうかがった。入学手続きをした後に、一通のメールが来て、「£1500の奨学金(“bursary”という言葉が使われていた)が授与されるためにしかるべき手続きを行ってください」、という連絡が来ていたのである。しかし、その後これに関する手続きの連絡等はなく、そのまま授業への登録手続きをして渡英していた。しかし、授業が始まるちょうど一週間前の一昨日にその「正式な“Award Letter”を取りにきてほしい」、という連絡だったため、昨日はそれを取りに行った。指定された番地の建物に入って行くと、エレベーターの前で小柄なおじさんとおばさんが喋っていた。指定された場所は5階だったために、エレベーターに乗ってそこへ行こうと思い、ボタンを押す。警報機のようなブザーが鳴って、エレベーターが降りてきた。5階へ行くべく、それに乗ると、喋っていたおばさんの方も一緒に乗ってきて、しばらく黙ったまま乗っていると「何かミーティングがあるのですか?」と尋ねてきた。「いいえ」とだけ答えて、「なんでそんなことを訊いてくるのかなぁ?」と思っていると、エレベーターが5階に到着。指定された部屋に行こうとすると、そのおばさんも同じ部屋に向かう。。。。そう、その小柄なおばさんがボクの会うべく人だったのだ・・・。そして、「あの、Ms. Xさんですか?」と尋ねると、「そうよ。」と言われ、「あの〜、(自分の名前)です。Award Letterを受け取りに伺ったのですが。。。」というと「やっぱり!そうじゃないかと思ったのよ!じゃ、あのメールはちゃんと届いていたのね。」と言われてしまった。「椅子にかけて。レターを作るわ。」と早速、ボクの入学手続き書類のファイルを取り出し、パソコンでレターを作ってくださった。実は、先に受け取ったメールには「教務課で授業登録を済ませる前に、このレターを取りにきて、登録手続書類と一緒に提出してください」と書かれてあったので、申し訳なさそうに「あの〜、実は問題がありまして、もう授業の登録手続きをしてしまったのですが。。。」と尋ねると、「ああ、問題ないわよ、じゃ、そう書いておくから」と黙々と、再びPCに向かわれた。しばらくして、「いつこちらに来られたの?」と訊かれると「9月7日です。」とだけ答える。レターが出来上がると、「それを直接教務課に持って行ってください。すぐに何か連絡があると思うわ」と説明してくださり、「ありがとうございました」とだけ、言って、そこを離れた。今考えると、ものすごく親切な方だった。最初に「ミーティングか何かあるの?」と尋ねてくださっていた段階で、ボクがレターを受け取りに来た日本人留学生であることを察知してくださっていたのである。あの時に、正直に「MS.Xに会いに来ました。」と言っていれば、もっと話はスムーズに進んだであろうに。。。。さて、せっかく書いてもらった手紙なので、念のため、コピーをとっておこうと思って、先ずは学友会館(Union)へ、コピー機を探しに行く。と言うのも、先日の説明会で学友会館では、コピー一枚僅か3ペンスということを聞いていたからだ。しかし、コピー機は見つからず。。。再び図書館に戻る。「さて、コピーってどうやって、とるんだ?」といろいろと探しまわると、まずはコピーカードを購入し、それをコピー機に挿して使うようだ。まずはコピーカードを買うのに£1。有り難いことに、自販機の横には両替機まである!「コインランドリーでコインが必要な時は、まずここで両替してから来よう」という考えが浮かんだ。コインランドリーには両替機もなく、そこにいる店のおばさんにお願いするか、おばさん自体もコインを持ち合わせていない場合は、自分で近くの店でなにか飴ちゃんでも紙幣を出して購入する必要があったからだ。カードを購入した後は、コピーは難なく終了。レターの原本を片手に、教務課へ。。。無事提出。残りは日課をこなす。晩ご飯は、以前訪れたギリシア料理屋へ。特に変わったことはなかった。写真は、Wilkie Collins とCruickshank, Birkbeckのお墓である。

Kensal Greenでの雪辱を果たす!


25日、夕方5時。大学図書館より(最近はホテルのTVラウンジでネットをすることも少なくなった)。24日は、11時頃に図書館に到着。気になっていたことを先に少し調べた。昨日読んだ『こちら倫敦漱石記念館』では、漱石がロンドン留学をしていたほぼ同時期に、同じ異国の地で活躍していた日本人画家の「牧野義雄」なる人物について詳しく述べられていた。この画家は恒松先生によって発掘されたと言っても過言ではない。いろいろと調べると、彼の代表作『雨のBBC放送局』は、鹿児島県にある「ミューズランド薩摩英国館」(http://www.satsuma-eikokukan.jp/index.html)に所蔵されており、2006年のTV番組「開運!なんでも鑑定団」で紹介されたとか。。。日本に帰国したら、まず訪れてみたい場所の一つになった。「英国館」には他にも明治時代のイギリスと日本との関係を探る上で非常に興味深い資料等が多数ありそうなので、とても興味をそそられている。また、本で読み知ったのは、ロンドン大学University Collegeの中庭に、日英友好の記念碑があるということだった。これを見たいと思ったので、散歩を兼ねてカメラを片手にUniversity College のメイン・キャンパスに潜入してみたが、結局どこにあるのか分からず、そのまま図書館に引き返す羽目に。。。以後は、午後8時半過ぎまで予習に取り組む。晩ご飯はホテルから数十歩歩いた通りの曲がり角にあるイタリア料理店へ。毎回、前を通るたびにかなりの数のお客さんが入っていたので気になっていたのだ。思い切って入ってみると、意外にお客さんの数は少なくて(おそらく夕飯の時間にはちょっと遅かったからか?)、一人でも気持ちよく応対してもらえた。スパゲッティ・カルボナーラとグリーンサラダを注文。お客の入りがいい理由が分かった。メチャクチャおいしいのだ!値段も意外にリーズナブルで、また近いうちにここには来ようと思って、満足げに店を出た。その後は、近くのTescoでビールを一本だけ買いに行った。レジで金額を言われた後、小銭ぴったりで支払ったら、応対をしてくれた黒人のお兄さんが、最初は「おや?」というような顔をしたので、(また小銭を間違えて渡したのかなぁ?)と一瞬ヒヤッとすると、“You're a good boy! How are you?”といきなり言われ、最初は何のことか分からなかったので“I'm sorry?"と聞き返すと“How are you?”と再度言われて、反射的に"I'm fine! Thank you!”と言った。小銭ぴったりで支払っただけでこのノリはいい感じだった。別にボク自身はビール一本だけを買いにきたので「good boy」でも何でもないのだが。。。。ホテルに帰ると、ビールをChrispと共にゆっくり飲んで、シャワーを浴びて寝た。
  今日25日は、文学散歩に収穫の多い日だった。この二日、あまり体を動かしていなかったので、今日はちょっと長めに歩けるコースを練ろうと、午前中は図書館で作戦を練った。気になっていたのは、やはり先日、無駄足を踏んだKensal Greenでのお墓探しだ。いろいろとネットで情報をひろっていると、やがてRichard Jonesさんの書かれた「Richard Jones's London Walking Tour」(http://www.walksoflondon.co.uk/)の中にKensal Green Cemetryでの歩き方が詳しく書かれていることが分かった。(http://www.walksoflondon.co.uk/36/london-walks-kensal-green.shtml)このページを順に読んで行くと、地下鉄Kensal Green駅からの墓地内の歩き方まで写真付きで事細かに説明されている。これは本当に有り難い!ある程度記事を読んで、前回の風景や地図と照らし合わせながら、経路をつかむと、これらの説明(textファイル)と写真(jpg画像)をPDAに転送し、もう一度Kensal Greenまで(今度はEuston Roadから18番のバス一本で<所要時間30分程度>)直行した。墓地到着後、説明通りに歩いて行くと、先ず発見したのがディケンズの義妹Mary Hogarthのお墓だった。説明書きにある通り、墓地内のNorth Avenueを歩いて行くと右側にひっそりとたたずんでいる。なかなか気づきにくいのだが、それだと分かったのは写真をPDAに表示させて、それを見ながら探していたためだった。説明書きによるとそこからDaniel Maclise→Charles Shirley Brooksのお墓を経由するはずなのだが、書いてあることがよく理解できず、また、見当をつけてみても両者のお墓には行き当たらなかったので、諦めた。しかし、サッカレーのお墓については比較的分かりやすい解説が書かれていて、かつ、Wikimeidaでそのお墓の最近の写真が掲載されていた(http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/e/e0/Thackeray_-grave_Kensal_Green_Cemetery-16Aug2006.jpg)ので、その二つを頼りに探し当てることができた!行き方は、正門(ドリス式の門だそうだ)からまっすぐ行って、foot pathに入ると右に曲がって行く。それがSouth Avenueで、その通りを道なりに歩いて行き、左側には普通の煉瓦の壁が見えているが、それが欄干のような柵に変わるところがある。その変わったところをすぐ右に向けば、小さな柵で囲まれたサッカレーのお墓があるのだ。墓石にはサッカレー(William Makepeace Thackeray)のイニシャルW.M.Tを一つに重ねたマークがあるだけだ。しかし、彼のお墓は意外に見つけやすい。小さな柵で囲まれているのは言うまでもないが、写真を見ても、左側にレンガで作られた赤茶色の棺のお墓があり、その前には左手に真っ白なハート形の墓石、右手には本の形をした墓石があるからだ。これだけの条件が整っていれば、意外に簡単に見つけられるはずである。次に、サッカレーの友人であったJohn Leechのお墓は説明を読んでも発見できなかったが、その代わり、著名な風刺画家であるGeorge Cruikshankのお墓を見つけることができた。・・・もっともこれは、偶然だったが。実は先に見つけたのは、お世話になっているGeorge Birkbeckのお墓だった。これは同様にWikipediaにお墓の写真が出ていて、それをPDAで見ながら歩いていると同じものを発見できた、という次第だ。位置的には、Main EntranceからCenter AvenueをThe Anglican Chapelへ向かって真っすぐ歩けばChapelの少し手前に十字路がある、その右側に実はBirkbeckとCruickshankのお墓が並んで建っているのだ!Chapelを超えると、地下鉄Kensal Green駅方面の墓地になる訳だが、ここからのJonesさんの説明は分かりやすく、その通りに行けばほとんどぴったりでAnthony TrollopeとWilkie Collinsのお墓を見つけることができた。John Forsterのお墓の行き方についての説明(http://www.walksoflondon.co.uk/36/kensal-green-cemetery-the.shtml)あたりから何となく位置が掴めてくると、「(Chapelの左側の)階段を下りて」(Go down the steps)という説明からは完全にその解説通りの道筋を辿ることができた。両著名文人のお墓を写真に収めると、一路、大学図書館へ帰還。帰りのバスでは、微かな興奮を覚えていた。先日の徒労に終わったお墓探しも無駄ではなかったことや、サッカレーの墓地にようやく辿り着けたこと、またWilkie CollinsのThe Woman in Whiteは本当に面白く読んだ記憶があり、その著者のお墓に参れたこと、などなどが頭に浮かんだ。
  「今日は少しツイているかも」と思ったので、図書館に帰って、もう一度University Collegeの中庭にあると言われる、日英友好のMonumentに関する情報を集めていると、UCLのNewsletter(2004年夏号)(http://www.ucl.ac.uk/laws/news/docs/news_2004.pdf )が検索に引っかかり、1993年9月2日、Monumentが「Wilkins Buildingの南回廊(the South Cloisters)の裏にある“the Eisai Garden”」に建てられたと書いてあった。見に行きたい衝動を抑えきれず、図書館の椅子に座って1時間もたたないのに、再びカメラを持ってUCLのメイン・キャンパスに潜入。クラブの勧誘で人がたくさんいたが、少々強引に中庭まで入って行った。中庭にはクラブ勧誘のための白い仮設テントが建てられていて、なかなかmonumentらしきものを見つけられずにいたが、ふっと壁を見ると、何か日本語で書いてあるものが見えた。それがMonumentだった。無事に写真に収めることができたのである。お墓の写真は何かここに自分が来た証拠として撮影したかったため、背負っていたリュックやお気に入りのBevo君(University of Texasのマスコット)と一緒に撮影してみた。ちょっと長くなりすぎたので、今日はここまで。

2008年9月24日水曜日

冷えてまいりました+”Wagamama"にチキンラーメン


  24日、お昼12時過ぎ。大学図書館より。22日のオリエンテーションは、受付でいろいろな書類をもらって、3時間程度のお話を聴くだけで終わった。本当は5時15分よりinformalなReception Partyがあったのだが、恥ずかしながら、初対面の人たちと英語でコミュニケーションをとるのが億劫だったのと、お腹が減ったのと、眠かったこともあって、これには出席せずホテルに帰った。informalなのでそれほど強制的なものでもないし、Full time International StudentsのためのPartyと言っても、大半はアメリカや他の英語圏から来られた方々だったので、ほとんどの人が英語でのコミュニケーションに何の問題もない人たちだった。日本語ですら、パーティーや飲み会は苦手なのに、まして英語で・・・と思って、気がひけてしまったのだ。おそらく絶好の英会話のチャンスのはずなのに、それを自ら放棄して後悔していない訳でもない。しかし、同じコースの人たちには初回の授業で出会って、仲良くなれるだろうし、まだまだチャンスはあるとも思う。オリエンテーションでのお話は、概ねPower Pointを使って、分かりやすく進められていた。参加者は大体50人くらいだったろうか。。。周りを見渡す限り、70%ぐらいの人たちがイギリス以外のヨーロッパ諸国とアメリカから来られた人たちのように思われる。残り20%はインドや中東系の方々、アジア系は数えられる程度だ。ホテルに帰ると、お菓子を食べて、暫く昼寝をした。
  目覚めてからは、散歩も兼ねて夜ご飯を買いに行った。サンドイッチとパスタサラダだったが、いずれも冷たかったのでビールで体を温めた。夜は、先日購入した恒松先生の『こちら倫敦漱石記念館』を最後の数章まで読んで、そのまま寝入ってしまった。この本が気になっていたのは、本の帯に「落ちこぼれ留学生から漱石記念館の館長へー20年間の面白滞英人生」と書いてあったからだ。しかし、中身を読んでみると、恒松先生のバイタリティーや大胆さ、勇気や探究心、さらには知的好奇心や商才に圧倒されて、決してボクにとっては「落ちこぼれ留学生」とは思えない内容だった。ホテルに勤めながら、苦しい生活を強いられていた一方で、英語以外の言語を学んだり、ハイド・パークにあるスピーカーズ・コーナーで英語スピーチの練習をされていたり、とこの負けん気と度胸にはただただ敬服するばかりだった。本当の「落ちこぼれ留学生」というのは、ボクのように、せっかくイギリスにやってきたのに、いざ現地で自国以外の友達を作るチャンスが目の前に迫ってきたりすると、それをフイにしてしまう情けない、英語力にいまだ自信を持てずにいる学生のようなことを言うのではないかと、とつくづく反省した。
  さて、23日は朝から寒かった。街中でも、図書館でも、よくくしゃみが聴こえてきた。午前中は、コインランドリーへ。せっかくだったからホテルのバスタオルも一緒に洗濯機へ放り込んでやった。ボク自身の洗濯物は量が少なく、それぐらい入れてもまだ機械の容量には足りないくらいだ。おかげでこの日は、今まで何回もそうしてきたように、バスタオルを持ってフロントへ行き、「タオルを変えてほしいのですが。。。」と頼まなくてもよくなった。機械が回っている間は日用品を買いに近くのWaitroseへ。図書館に入ったのはお昼の1時ぐらいだったろうか。終日、予習に取り組む。しかし、ボク自身も、寒さで胃が若干痙攣してきたため、お昼はあたたかい紅茶と一緒にShort Breadを食べた。胃の方は少しマシにはなったが、依然として寒さはかわらない。急にこんなに寒くなるとは・・・。朝に見たTVの天気予報でも、「Cool, Breeze and Gray」という見出しだった。数時間で読み続けてきた一つの詩を読み終えると、再びなにかあたたかいセーターでも着て、戻ってこようと思って、一時ホテルへ退散した。大学図書館は9月22日より大学の学期中ということで、平日の朝は8時半から夜の10時半まで、土日も朝10時から夜10時まで開館してくれることになったからだ。ホテルに戻ったのは夕方6時半頃。なにかあたたかい夕飯が食べたくて、バスに乗り、先日行った地下鉄Angel駅近くの「Vue」というショッピングモールの中にある、日本料理屋(?)「Wagamama」に向かう。そこで温かいチキンラーメンを食す。生き返ったような心地がした。前日の夕食が冷蔵庫から取り出したてのパスタサラダと、サンドイッチだっただけに、この一杯のあたたかいラーメンがどれほど有り難かったか!せっかくイギリスに来ているのに、寒くなったからと言って、「Wagamama」にもあったかいラーメンを食べに行くとは。。。日本人の「Wagamama」が通る店としては、なんとうまいネーミングだ。おそらくホントのところは違うだろうが・・・レストランからの帰りはTescoによって、小さいワインを購入。ホテルで飲んでさらに暖をとった。おかげで、これまたぐっすり眠れましたとさ。・・・って図書館には戻らなかったの???(恒松先生の本をホテルで読み終えました)
  「Vue」に行く途中、バス停前で夕刊のFree Paperをお兄さんからもらった。そのワードパズルが文学系のものだったので、挑戦される方はお試しあれ。ボクはまだやってません。

2008年9月22日月曜日

"The Dissenters' Westminster Abbey"=Burnhill Fieldsへ


22日、月曜の朝。大学図書館より。21日の日曜日はこれまた天気がよかったので、午前中は近くの墓地Burnhill Fieldsまで散歩を兼ねて行ってみた。最初はホテルのTVラウンジでどこか近場で文学系の散歩ができるところはないかと、いろいろと検索していたところ、About.comで「Historic Literary London Walking Tour」(http://fictionwriting.about.com/od/interviews/ss/litlondon.htm)というGinny Wiehardtさんの書いた記事を発見。そこの7ページ目に目的にかないそうな紹介文が載っていた。以下、引用。「If the day is pretty, Bunhill Fields, in the borough of Islington -- not too far from the British Library -- is worth a visit. Until 1854, this cemetery was a final resting place for religious noncomformists such as Quakers and Puritans, who could not be buried in Church of England cemeteries. Known as "the dissenters' Westminster Abbey," Bunhill Fields holds monuments to William Blake and Daniel Defoe, as well as John Bunyan's tomb. People continue to leave notes and flowers to William Blake; the top of the stone is covered with pennies. Milton fans will want to stroll down Bunhill Row, which borders the west side of the cemetery: the poet wrote Paradise Lost while living here.」天気もいいし、近場だし、BlakeにDefoe、Bunyanのお墓まであるなんて!ということで、迷わず直行した。プロテスタントにもカソリックにも属さない、dissentersの著名な文人たちの墓地ということで、「dissentersたちのWestminster Abbey」として知られているとは知らなかった。Holborn駅近くの停留所から東へバスで7〜8分行った、Old Streetを少し北上したところにあった。Bunyanのお墓はものすごく立派で棺の形をした墓石の上に本を抱えて仰向けに横たわっている本人の銅像がある。それに比べると質素だったのがBlakeのお墓だ。ただの墓石だけなのだが、紹介文にもあるように墓石の上にはたくさんのコインが置かれていた。Defoeのお墓は、ちょっとした塔になっている。これも立派な物で、白くて奇麗なお墓だった。散策は30分程で終了。一度、ホテルに戻ると、歩いてBritish Libraryへ。日曜日は大学図書館がお休みなので、こちらを使用させてもらうことにした。幸い夕方5時まで開いているので、なんとか場所を確保して、予習の続きを始めた。帰宅後は、なんかものすごく眠気が襲ってきたため、夜7時半頃まで昼寝をして、近くのレストランでFish & Chipsを食べた。その後はTVラウンジでブログを更新。疲れたのでそのままベッドへ。。。Zzz....今日、22日はいよいよ新入生オリエンテーションだ。ちょっと緊張気味だがお昼の2時からWelcome Receptionが終わる7時半までは辛抱だ。<追記>そう言えば、Burnhill Filedsへ向かうバスに乗る前に漱石が最初に泊まったStanley Hotelのある76 Gower Streetまで行ってみた。別になんの標識もないのは当たり前だが、今は普通の家か下宿のような物になっている。ドアに書かれた76の文字を写真に収めようと思ったが、その横の窓からお姉さんが窓を開けて出てこられたので、写真は断念した。Gower Streetの反対側、つまり奇数番号が並んでいる側は今でもホテルが立ち並んでいる。また、紹介文にもあるように、MiltonがParadise Lostを書いた場所と言われるBurnhill Rowを隅から隅まで歩いてみたが、なにか彼が住んでいたことを示す標識(Blue Plaue等)やモニュメント等は見つけることができなかった。BluePlaque.comでも「Milton」で一件もヒットしないのは一体どういうことなのだろう???

『西洋にては金が気ガヒケル程入候』


 9月20日(土)。引き続き天候に恵まれたため、どこか散歩を兼ねて出かけようと決めた。旅行ガイドブックに載っていて、気になっていたのが「倫敦漱石記念館」だ。ここの最寄り駅は地下鉄Clapham Common駅だが、同じようにこの駅へと向かうバスも出ている。ロンドンと言っても随分南のほうにあるのだが、ちゃんとバスは出ていた。ホテルからはまずEuston Roadを西へ歩き、地下鉄Great Portaland Street駅へと向かう。そこから、北はCamden Townから南はClapham Commonまで走っているバス88番に乗っていけば、かなりの距離を乗っても90ペンスだ。週末のロンドンは地下鉄の幾線かが、改修工事のため途中までしか行けなかったり、場合によっては一つの路線がまるまるお休みになることもある。そのため、バスの方がまだ信頼が置けるのだ。。。と思っていた。ところが、だ。Great Portland Street駅付近のバス88番の停留所を見つけてそこでバスを待っていてもなかなか来ない!20〜30分近く待っただろうか。。。バス停の案内には毎時7〜10分で来ると書いてあるのに。。。待っていると、気の優しいおばさんが声をかけてくれた。「何番のバスを待っているの?」「88です」「私もC2番を待っているけど、なかなか来ないのよ」「今、ちょうどお昼の1時半から2時ごろでしょ。おそらくどこか近くでマーチ(行進)をやってて、その場合はバスが別ルートをとるのよ」だって。。。我慢強くもう少し待ってみたが、僕もおばさんもあまりに来ないバスにあきらめをつけ、ボクは「ありがとう」と言って、仕方なしに地下鉄で行くことにした。さぁ、そうすると余計に大変だ。もう一度プランを練り直すために地下鉄の路線図(Tube map)を見ていると、二人の人に声をかけられた。一人は日本人だ。「サッカーのかたですか?」だって。ボクが「は?」と答えると、「ああ、違うか」と言って、そそくさとどこかへ消えていった。思えばむちゃくちゃ気になる質問だった。どこか近くで日本人選手の出場するサッカーの試合でもあるのだろうか ?気になって、今でもこの答えは分からない。もう一人は、どこの国か分からないが、優しそうなお姉さんだった。地下鉄の路線図を不安そうに見つめているボクの様子を察して、「Can I help you?」と尋ねてくれたのだが、ボクは「I'm OK. Thanks.」と答えて、それで会話が終わってしまった。考えてみれば、正直に「Clapham Commonに行きたい」と言えばよかったのだが、自分でゆっくりと行き方を考えてみたかった。せっかくの会話のチャンスを無駄にしてしまったのも後悔の種の一つだ。結局、ボクの練った経路は、Great PortLand StreetからCircle Lineに乗って、一駅、Baker StreetでBakerloo Lineに乗り換え、Charing Crossまで、そこから再度Nothern Lineに乗り換えて、Clapham Commonという順路だった。しかし、地下鉄は全部ちゃんと動いてくれているだろうか???と不安に思いながら、駅の案内やアナウンスに目を凝らし、耳を傾けていたが、なんとかCharing Crossまでは行くことができた。そこから南へ下るにはそのままNother Lineをと思ったのだが、もうそのころには「行進」も終わっているだろうと、Caring Cross駅で地上に出て、再び88番のバス停を探す。無事に見つけられると、すぐにバスがやってきた。「あ〜よかった」とホッとしながら、二階席の一番前に乗る。日差しがきつくて、暑くて仕方なかったが、観光バスに乗る気分だった。Clapham Common駅前に到着。Clapham Commonはすごく広大な公共公園になっている。天気がよかったため大勢の人たちが日光浴を楽しんでいた。最初はネットからダウンロードした付近の地図を読むのに手間がかかったが、次第になんとか地図に載っている通りの名前を見つけ、まずは漱石のBlue Plaqueを見つけることができた。周囲は本当に閑静な住宅街で、記念館やミュージアムなどがそこに存在するとは想像だにできない場所である。Blue Plaqueは2002年の3月22日に設置されたため、まだきわめて新しいものと言える。漱石記念館館長の恒松先生が半生をかけて設置にこぎつけられたBlue Plaqueである。さて、記念館の隣の建物やその周辺の住宅はほとんどが貸しにだされていて(所謂「To Let」の看板が立っていて)、最初記念館の前に立ったときはひょっとしたら、もう記念館のある場所も売りに出されているんじゃないかと思ったほどだった。The Chaseの81が漱石の下宿跡、その向かいにある80bが記念館だ。80bの記念館のある家のドアベルの横に、すごく小さなプレートが貼ってあって、「SOSEKI MUSEUM IN LONDON、以下、OPENING TIMES云々」などの情報が記されてあった。恐る恐る、80bのドアベルを押すと、インタホンで「はい、漱石記念館です」という声が聞こえ、どう、答えていいか分からないまま、黙っていると「Hello?」と言われてしまった。慌てて、「すいません、あの〜」と切り出すと、「ああ、ドアを開けてお二階へおあがりください」という声が聞こえてきた。おそらくこの記念館におられる方は、恒松先生の奥さんだと思われる。(というのも、ここで購入した本(後に記載)に、記念館を管理している奥様と息子さんへの謝辞が書いてあったからだ。この時はさすがにそんなことも知らなかったし、尋ねることもできなかった。)最初に説明を受けて、学割料金£3で見学させてもらった。館内の写真もOKだとはなんとありがたいことだ。展示は時間があったので、最初からパネルを一枚一枚丁寧に読んでいった。夏目漱石のロンドンでの足跡が非常によく分かり、今の自分と多少かぶるところもあって、ものすごく興味深く、かつ感銘を受けた。見終わった後は絵はがき3枚と恒松先生の著書『こちら倫敦漱石記念館』を購入。館のほとんどの展示品の写真を撮って、来館者名簿に名前を書き記し、「ありがとうございました」と深々と頭を下げてその場を後にした。漱石がロンドンに留学した期間は2年2ヶ月。文部省より留学を命じられたのは33歳の時で、奥さんと一人の子供がいて、もう一人の子が生まれる直前のことだったらしい。当時は手紙が届くのに約40日前後。日本政府より支給される留学費用をほとんど書籍の購入に当てたという。そのため、帰国の際には日本に4〜500冊の本を持ち帰ったらしい。慣れない土地での奮闘ぶり、文学研究への情熱、書物に懸ける想い、孤独、などなど、留学中の夏目漱石の暮らしぶりに胸を打たれた。「下宿籠城主義」の後、「夏目狂セリ」という電報が送られ、帰国直前にはノイローゼに罹っていたとか。。。そんな漱石の状態と比べれば今、自分の置かれている状況はなんと恵まれていることか、とつくづく感謝の念が湧いた。漱石記念館へはバス一本でうまい具合に行っていれば、一時間半程で往復してこられるはずだった。そのため、その後は大学図書館に戻って勉強しようという予定だったが、記念館に行くだけでなぜか2時間近くもロスしていた。故に、帰路についた時はもう5時ぐらいだった。(図書館は夕方5時まで)帰りは予定通りバス一本でGreat Portland Street駅に帰着。Euston Roadを今度は東へ歩いていると、£6.50でビュッフェスタイルの中華料理屋を発見。お持ち帰りだと、£4.50なのだが、ホテルでは温かいご飯を食べるのに部屋では食べられず、食堂に行かなくてはならない。そのため、そのレストランで「Eat in」した。帰宅後は、写真を見返しながら、心に残った漱石の言葉をPCに打ち込んだ。以下、それらを載せておく。

「倫敦に住み暮らしたる二年は尤も不愉快の二年なり」『文学論』

「余は英国紳士の間にあつて狼群に伍する一匹のむく犬の如くあわれなる生活を営みたり」

「西洋にては金が気ガヒケル程入候留学費でどうしてやるかが問題に候」

長尾半平の言葉
「当時夏目さんは、文部省から送って来る僅少な学費で暮らしていたが、その学費も大半は書籍を買ふのに費やされて、其残額で暮らしているというような有様で、実際気の毒な位貧乏なくらしをしてをられた」(『ロンドン時代の夏目さん』)

「夜池田ト話ス理想美人ノdescriptionアリ 両人共頗ル精シキ説明ヲナシテ両人現在ノ妻ト比理想美人ヲ比較スルニ殆ド比較スベカラザル程遠カレリ大笑ナリ」
(日記)池田=池田菊苗*味の素の開発者。

「倫敦の方はいやな処もあるが社会が大きい女皇が死ねば葬式が倫敦を通る王が即位すれば「プロクラメーション」が倫敦である 芝居に行きたければWest Endに並んで居る 夫から僕に尤も都合の善いのは古本をさがすには(新い本でも出版屋は大概倫敦である)此処が一番便利である 以上の訳で先ず倫敦に止まる事にいたした」

「University Collegeへ行って英文学の講義を聞たが第一時の配分が悪い 無暗に待たせられる恐がある 講義其物は多少面白い節もあるが日本の大学の講義とさして変つた事もない汽車へ乗って時間を損して聴に行くよりも其費用で本を買つて読む方が早道だという気になる」

「なるほど留学生の学費はお話にならないくらい少ない。ロンドンではなおなお少ない少ないがこの留学費全体を投じて衣食住のほうへ回せば我輩といえども、もすこしは楽な生活ができるのさ。それは国にいる時分の体面を保つことは覚束ないが、とにかくこれよりも薩張りした家へはいれる。しかるにあらゆる節約をしてかようなわびしい住居をしているのはね、一つは自分が日本におった時の自分でない単に学生であるという感じが強いのと、二つ目にはせっかく西洋へ来たものだからなることなら一冊でもよけい専門上の書物を買って帰りたい欲があるからさ。」「倫敦消息(1)」

「余は下宿に立て籠りたり。一切の文学書を行李の底に収めたり。文学書を読んで文学の如何になるものなるかを知らんとするは血を以て血を洗ふがご如き手段たるを信じたればなり。余は心理的に文学は如何なる必要があって此の世に生れ、発達し、頽廃するかを極めんと誓へり。余は社会的に文学は如何なる必要があって、存在し、隆興し、衰滅するかを究めんと誓へり。」『文学論』

2008年9月20日土曜日

ハリポタ系関連の場所を二件訪れる+ジャパセン、ベル・りびんぐ


 20日土曜日、午前10時。ホテルのTV Loungeより。昨日19日(金)は、素晴らしい天気だった。今日、土曜日もものすごく気持ちのよい天気だ。TVニュースの天気予報でも見出しで「Dry and Sunny」と伝えていた。さて、昨日は、大学図書館→King's Cross駅→「ベル・りびんぐ」→Regent's Park→London ZooのEntrance→ホテル→大学図書館→「ジャパン・センター」→インド料理屋→Magazine Standの順に足を運んだ。
 前の晩よりいろいろと行動をプランニングしたのだが、晴れた天気も手伝って、効率よく一日で目的を達成できた。まず、目的の一つはここ最近ずっと探し続けてきた変圧器、室内用スリッパ、体を洗うスポンジを買うこと。日本専用の100vの電圧にきちんと変圧してくれる機械はなかなか近くの電気店や売店等では見つけることができなかったため、「どうしたものやら。。。?」とネットでいろいろと検索していた。携帯の充電だけなら、もうあきらめがつくのだが、実は、日本から持ってきた640GBの外付けHDDが日本専用の100vでしか動かないのだ。下手に無理してアメリカ用の変圧器で動かそうものなら、HDDが壊れる可能性があり、これはどうでも変圧器を購入する必要に迫られた。それでなくても日本を発つ直前にデスクトップPCのHDDを壊してしまって、大変な目に遭ったのに。。。
 しゃかりきになってネット検索を続けると、ロンドンの西に「ベル・りびんぐ」(http://www.bell-living.co.uk/index.html)という日本の中古家電等を販売しているお店が見つかった。これは、ロンドンに滞在していた日本の人たちが、帰国する際に、日本から持ってきたものの持ち帰るにはもう不要になったものを買い取りされて、売っておられるお店のようだ。「ベル・りびんぐ」へは、地下鉄Picadilly LineのNorth Ealing駅から徒歩3分、Central LineのWest Acton駅から徒歩7分だ。Central Lineはロンドンを東から西へ(あるいは西から東へ)ほとんど一直線に横断している線なのでこっちの方が早く到着するのでは(?)と思い、前者のアクセスを選んだ。West Acton駅を出る(出口は一つ)と右に進路を取り、Japan Serviceという不動産屋が左手に見える。このあたりはひょっとすると日本人の人たちが結構多く住まわれているかもしれない。というのも、途中で日本人らしき子連れのお母さんがたに3組ほど出会ったからだ。Queens Driveを歩くこと7分、道すがら、ロシアの小(?)中(?)学校を超えて、数件のお店が立ち並ぶ一帯にさしかかる。この中には「Momo」という日本食のレストランあり、そして目的地である「ベル・りびんぐ」あり、なのだ。。。近隣は閑静な住宅街で、とてもいい雰囲気だ。さて、入りやすい雰囲気のお店にひょこっと入ると、とても感じのいい日本人のご夫婦(だと思われる)がおられた。安心して最初から日本語で「すいません、変圧器を買いにきたのですが。。。」と言うと、すぐにどういったものに使うのか、とか、最大どれぐらいのワット数が必要なのか、とかとても親身になって訊ねてくださった。正直に、「携帯の充電と外付けHDDなんですが。。。」と答えると、ご主人さんの方が機械にも詳しい方のようで「そしたら、そんなに大きい容量のものはいいね」とtotalで100wまで使える適切なものを選んでくださった。とても気持ちのよいお買い物ができた。ここ数日背負い続けてきた肩の荷が気持ちよくほぐされた気分だった。帰りは同じCentral Lineを使ったのだが、今度はOxford Circus駅でBakerloo Lineに乗り換えて一駅Regent's Park駅で下車した。
 これは目的の二つ目と関係がある。それは、「ハリー・ポッター」関係の場所を訪れようというものだ。一件目は、今ではもうベタな話になってしまったが、かの有名なKing's Cross駅, Platform 9 and 3/4(nine and three quarters)【9と4分の3番線】だ。ここは意外にホテルから近いので、大学図書館を出た後、昨日一番に歩いて向かった。今ではそんなに人だかりもなかったが、それでも2組ほど写真を撮っている人たちがいた。壁には「Platform 9 3/4」と書かれた白い板と、空港等で使う(こちらでは駅でも使用する)カート(trollery)が半分に切断されて壁にボルトで留められていた。二件目は、London Zooだ。あまり知られていないかもしれないが、旅行ガイドブック「地球の歩き方 イギリス」には「Harry Potterの撮影が行われた」というコメントが載っている。確かに映画の第一作目『ハリー・ポッターと賢者の石』でHarryが、居候先のおじさん、おばさんと共に動物園に行くシーンがある。おそらく、あのシーンのことであろう。動物園に一人で入るのもなんか面白くなかったので、とりあえず、入り口の写真だけでもカメラにおさめようと思って、Regent's Parkを縦断してLondon Zooへ向かった。Regent's Parkはロンドンでも最大級の広さを誇り、中にはQueen Mary's Gardenもある。花畑の写真を撮り、公園の周囲を走っているOuter Circleに出た。公園では気持ちよく晴れた天気ゆえに、ベンチで読書する人、昼寝する人、芝生に寝転がる人たちがたくさんいた。そして、Outer Circleを歩いていると、いきなりキリンさんが顔をのぞかせた。どういう訳か、動物園のキリンさんがいる所だけは外から少し見えるようになっている。これはラッキーと思い、キリンさんの写真を柵越しに撮った。そして、Main Entranceへ到着。入園料に学割料金が書いてあったが、それでも£13.40、一般料金では£15.90なので、やっぱり入園はやめた。
 動物園を後にすると、バスでホテル近くまで行く。ホテルで一呼吸おいた後、再度大学図書館へ。暫くネットで調べものをした後、今度はジャパンセンターに向かった。ジャパンセンター(通称「ジャパセン」)は、ロンドンに在住する日本人なら誰でも知っているほど有名な日本人のためのお店だ。地下鉄Picadilly LineのPicadilly Circus駅下車、徒歩30秒、という最高のアクセスだが、ボク自身は大学近くのバス停よりバス一本で行けた。バス停Picadilly Circusを降りたら、その目の前がジャパセンだった。お店には、日本の食料品、日用品、食器などなどがおいてあり、隣は日本食のレストランになっている。お店に入ると、匂いや雰囲気からして、日本に帰国したような気分になれる。レジや店内では、もちろん日本語でOK。ここで室内用のスリッパ(というか健康サンダル)を£3で購入した。近くの薬局でBody Spongeを購入すると、夕食をとりにホテル近くのインド料理屋へ向かった。帰国の際に航空機のチケットを気安く購入する場合には、このお店の地下にある「ジャパン・トラベルセンター」へ行けばよいのだ。昨日行った日本人のための2件のお店がある限り、あまりホームシックにかかることはないような気がした。<追記>ホテルへ帰る途中、ポーランドからやってきたお兄さんにRussel Square駅までの行き方を尋ねられた。おおまかな方向はあっていたが、細かいところまでは正確に教えてあげることができなかった。お兄さん、ゴメン!全然関係ないことだが、日本で言う、「ボディーシャンプー」はこちらでは「Shower Gel」と呼ぶほうが多いみたいだ。


2008年9月19日金曜日

図書館でお勉強+自転車専用レーン

(写真手前の緑の細いレーンが自転車専用レーンである)

9月17日(水)は、こっちへ来てから初めて写真を一枚も撮らなかった。午前中にLaunderette(コインランドリー)へ行って、その後は夕方まで図書館で早速予習を始めたからだ。。。と言うより、ようやく利用できるようになった図書館で勉強を始めてみたかった。図書館の学習ブースは少し広めでコンセントも二つ用意してある。学内専用の無線LANが利用できるのは前日書いた通りだ。ところが、この日はホテルにプラグ・アダプターを忘れて、パソコンのバッテリーがもつ2時間ほどしかPCを利用できなかった。ある英詩を読みながら、PCでノートを書いているのだが、これだと時間が限られてしまう。トホホ。バッテリーが切れると仕方なしに撤収し、一階(Ground Floor)にあるCosta Cafeでマフィンと紅茶を頼んでゆっくりしてからホテルに戻った。夕食はPaddington駅近くのPubも兼ねているローカルな雰囲気のあるレストランでGrilled Chickenを食べた。
 今日は何も書くことがないかなぁ、と思いきや、思い出してみると書き留めておきたいことがたくさんある。ここにイギリスに到着してからいろいろと気がついたことをまとめておく。まずはロンドンのいくつかの地域では道路に自転車専用レーンがあるということ。これは泊まっているホテルの前の道がそうなのだが、全てがこのような道路とは限らない。また、お店やホテルや駅などのドアの開閉に関しては、出国前に日本のテレビCMでみたように、他人を思いやる考え方が徹底しているように思う。つまり、次に来る人のためにドアを開けて待ってあげたりすることが多いのだ。Cafeはさすがにたくさんあって、今思い出せる限りでも、Starbucks Cofeeは勿論のこと、Costa CafeにPret A Manger(←これ「プレタマンジェ」って読むのね・・・最初は知らなかった)などがある。地下鉄は日本と比べるとやっぱり少し汚くて、車両連結部分の窓が開いている(ご丁寧に「Lower window for ventilation」<換気のために窓を下げて開けておいてください>って書いてあるのだ・・・)ため、トンネルに入るとものすごい音がする。しかし、そんな騒音にもめげずに周りの人たちはそれよりも大きな声でお話をされているのだ。スーパーマーケットには、Tesco, Waitrose, Marks & Spencer, W.H. Smith、Sainsbury等があり、特に日本のようにポイントカード等はないようだ。エコバッグはWaitroseで売っていることは売っていたが、それを使って買い物をしたからといって、割引などにはならない。禁煙化、あるいは分煙化の流れはまだこちらでは強いようには見受けられない。通りで歩きタバコをしている人の数はロンドンでは日本よりも多く見かけるような気がする。携帯電話を売っている店としては一番多く見かけるのがCarphone Warehouseで、その次はPhones4uだと思う。とりあえず今日はこのへんにしておこう。(18日午後7時頃<現地時間>図書館より)

2008年9月17日水曜日

Student IDをもうらう


9月16日(火)午前中は、Tottenham Court Roadへ変圧器と日用品を探しにいった。この通りはロンドンにある秋葉原みたいな電気屋街で、同名の地下鉄駅を北上していくことになる。泊まっているホテルはこの通りの北側に位置しているため、ボクはこの通りをその地下鉄の駅目指して南下した。通りにはSony, Sharp,など日本の大手電機メーカーの名前が並ぶ。さて、変圧器を手に入れたかったのは、今ではもうデジカメ・デジビデ・ハンディ辞書に転職した日本の携帯電話を充電したかったためだ。欲しかった変圧器はmaplinというお店で手に入れることができたのだが、220-240vの電圧を110-120vに変圧してくれるUK to US Voltage Converterでいけるだろうと思って購入したのがあまかった。日本で使っていた携帯電話の充電器は100vしか絶対にうけつけないのだ。。。トホホ。
£9近くもしたのに無駄なものを買ってしまった。でも、まぁプラグの変換機としては重宝するのだが。今の携帯Nokia E61にはデジカメ/ビデオ機能がないためすぐに写メールなどをしたい時には、日本の携帯で写真を撮って赤外線かBluetoothでNokia E61に転送、そして送信していた。が、日本の携帯が充電切れで使えないため暫くは写メールなどもお預けだ。Nokia E61には先日、辞書「英辞郎」をインストールすることができたので、今では日本の携帯もなくてもよくなってきた。他にCanonのモバイルプリンターip90なんか売っていないかなぁ、と思って通りを歩いていたら、一軒だけウィンドウに展示している店があって、入って訊ねてみたら「Sold Out」と言われてしまった。残念。
  実は午前中に電気街をうろつくことになった理由はもう一つある。先日、学生証の再交付を頼みにいって、ホテルに届けてもらえるよう手配したのだが、まだ昨日(月曜)の時点で届いていなかった。先日窓口に行った時には、受付のお兄さんが2、3日中にはホテルの住所に届きます、と言ってくれていた。「ホテルの住所まできちんと知らせたのに、なぜ?おかしい?」と思って、再度頼みにいった日付あたりのメールをよく読み直してみたら、「あなたはMain Buildingで学んでいくことになる学生なので、全体を統轄するRegistration Centerでは学生証は交付できません。Main BuildingのRegistryへ行ってください。」というメールが届いていたのだ。そんなメールが来ていたとは・・・確認メールか何かだろうと思ってよく読まなかった自分がすべて悪い。さて、「Main BuildingのRegistryってどこだ?」と思って探していたら、確かにそういうセクションがあった。しかし、そこの窓口は昼の12時から夕方5時までしか開いていない。そこで、午前中は近くで時間をつぶすことになったのだ。窓口には12時過ぎに到着。理由を話すと名前を紙に書かされて、封筒と一緒にお兄さんが学生証を持ってきてくれた。「日本の住所しか書いていなかったから、まだ届けていませんでした」だって。次に「イギリスでの住所が決まったらすぐに知らせてください」って言われたみたいだけど、最初は全然聞き取ることができなかった。仕方なしに「I'm sorry, I don't understand」というと、分かりやすい英語で丁寧に教えてくれた。まだまだ自身のリスニング能力のなさに情けなさを感じる毎日だ。しかし、これでようやく念願のStuden IDをゲットした。このカードで大学の図書館はもちろんのこと、美術館の学割も使えるのだ。近くのホテルやレストランでは学割がきくところもある。晴れて、再度、正規のコースに所属する学生に戻れた。
  午後は、ロンドン北西部にあるKensal Green CemetryにThackerayほか著名文人たちのお墓を探しにいった。しかし、探しにいっただけで結局は見つけることができなかった。2時間も歩いて探しまわったのに。。。これまた、残念。墓地はものすごく広くて、管理人らしきおじさんに尋ねても「この辺りだ」、と教えてくれただけで結局、特定することはできなかった。いろいろとサイトを調べていると、Thackerayの墓地はすごく地味で、著名文人のお墓のため豪華なものを想像していると、なかなかそれとは気づかないらしい。念のため既に誰かがアップしていた写真を頼りに探しまわったのだが、それでもやっぱり無理だった。夕食はホテル近くのインド料理屋さんでナンとカレーのセットメニューを注文。おいしかった。昨日の晩ご飯の席で、ビールを飲んだ後、喉が渇いたので、お水を注文したのだが、「Tap or bottle?」と訊かれ、知っている単語の方である「bottle」と答えてしまった。また失敗だ。bottleの水は£3近い有料のミネラルウォーター。「tap」とは水道水のことで一切お金はかからない。欲しかったのは後者の方だ。。。おかげで昨日は勉強になった。この教訓を活かして、今日入ったインド料理屋さんでは「What would you like to drink?」と訊かれると、最初から、「Tap water, please.」と言ってやった。すぐにピッチャーに入った水道水が出てきた。よしよし。アメリカ英語で蛇口を意味する「faucet」しか知らなかったのだが、無料の水道水をイギリスでどう頼めばよいのか、今回の失敗で学ぶことができたのである。
些細なことだが、お酒をあまり飲まない自分にとっては大きなことなのだ。夕食後は、早速図書館に入ってPCで学内のLANにアクセス。随分前にもらっていたusernameとpasswordを入れて、なにかソフトをDLし、再起動をかけると接続できるようになった。大学の無線LANはホテルのより安定していて速度も速い。早速、メールやネットサーフィンを楽しんで、調べたいことを調べたり、大学の蔵書検索をしてみたりした。大学図書館は平日午前10時から午後8時まで、土曜日は12時から夕方5時まで、日曜は閉館だそうだ。ホテルへの帰路、近くのスーパーによってヨーグルトと発見したポッカのウーロン茶、そしてポテトチップスを購入。スプーンがないことに気づき、別のニューススタンドで買った。インド料理のあとだからかなぜかヨーグルトが食べたくなった。これに昨日買ったフルーツの詰め合わせをつけて食べると、とてもおいしかった。

2008年9月16日火曜日

The Courtauld Gallery とMamma Mia!


9月15日は午前中The Courtauld GalleryとNational Portrait Galleryに行き、午後3時からはOdeon London Westで映画『Mamma Mia!』を観た。Courtauldでは、ゴッホの自画像や『Peach Blossoms in the Crau』などを、National Portrait Galleryでは著名文人たちの肖像画をみた。『Peach Blossoms~』の大きなプリントコピーは実家のリビング兼ダイニングに掛けてあって、数十年前からずっとみてきているのだが、今日は、ようやくその本物に出会えた。耳に大きな包帯を巻いたゴッホの自画像は小学館から出ている漫画人物伝を読んでその背景の事件を知っていたので、感慨深いものがあった。Portrait Galleryでみた著名文人たちの肖像画は、いろいろな文学系の教科書や研究書でみていたせいか、いくつか見覚えのあるものに出くわした。バイロン、ブロンテ姉妹、ディケンズやワーズワースの肖像画はみただけで分かるぐらい特徴的(?)というか、はっきりと記憶を喚起させるものがあった。午後三時からの映画は、ここ最近で是非みたい映画の一つだった。昨晩にオンラインでチケットを購入。お客さんは10人ぐらいだった。イギリスでは7月7日に封切りされたらしいが、もう上映日も終わりに近づいているせいだろう。日本では2009年の1月9日に公開されるとか。実はミュージカルの『Mamma Mia!』は去年12月にNew YorkのWinter Garden Theaterでみて大変感激し、もう一度みたいと思って、今年の3月には名古屋で劇団四季のものをみていたのだった。今年、それが映画化されると知ってとても喜んでいたが、日本での公開はまだまだ先だということを知って、がっかりしていたところだった。Odeon London WestはLeicester Squareに面していて、その一帯は映画館や劇場が多い。Squareの周りには著名な俳優たちの手形が地面に埋め込んであり、写真をパシャパシャと撮ってしまった。ここには他にもチャップリンの像やHogarthやNewtonの像があって、観光地としても十分な場所だ。さて、映画では舞台から味わった興奮を再びスクリーン上で味あわせてもらって感動した。ただ、チケット代がめちゃ高かった。£13.50は日本円では2600円近いのだ。。。おそらく留学中に映画に行くのはこれで最初で最後になるだろう。参考になったのは、演劇のチケットはこのLeicester Square周辺のThe Official Half Price Ticket ShopあるいはBoothで買う方が断然得だということが分かった。劇場で直接買うよりも文字通り半額近い値段で購入できる。夕飯はガイドブックにも載っていた、伝統的なイギリス料理をだしてくれるというHenrietta通りの「Porters」へ行って、Kidney Puddingを食した。ガイドブックにも載っていたせいか、日本人観光客が自分も含め多かった。

2008年9月15日月曜日

電車に乗ってRochesterへ!Satis Houseのモデルを見た!


 13日土曜日はBluePlaque探しにあまり実りが少なかった。DickensのBlue Plaqueのうち、地図では見つけにくい4件に当たったが、周辺まではたどり着くもののその内の3件ははっきりと標識を見つけることができなかった。結局、きちんと写真に収めることができたのは僅か1件だった。夕食はギリシャ料理を食べた。と言っても、脂身の少ないサーロイン・ステーキだったが。。。そのかわり日曜日は収穫が多かった。
 14日は天候にも恵まれ、ロンドンを離れイングランド南東部のケント州Rochesterへ。Dickensは幼少の頃、このRochester近くのChathamに住んでいたそうだが、よくこのRochesterまで父親と散歩にきていたそうだ。そのため、少年期にこの地から受けた影響は強かったために、いろいろと彼の作品の原型になったものがこの地にはある。Rochester Castleに行くと「In Dickens' Footsteps」(ディケンズの足跡)というパンフレットが50ペンスで売っていて、迷わず購入。そのガイドの通りに歩を進めると、14カ所ものDickensゆかりの地に行き当たる。最も印象的だったのはThe Great Expectation に登場するMiss Havishamの豪邸Satis HouseのモデルになったRestoration Houseだ。その前の公園The Vinesは主人公ピップがSatis Houseまで歩いたと設定される散歩道になっている。足跡の経路はピップがSatis Houseに向かったのと逆方向だったが、感慨深いものがあった。もともとこのRochesterにはDickens Centerがあるとされていたのだが、そのセンターがあったEastgate Houseは今はもうただの建物になっていて、今日はたまたまOpen Dayで中を見せてもらえたのだが、普段は閉ざされているらしい。中に入ると優しそうなおじさんが、「ここの展示品はもうみんな新しいMuseumに移されているんだよ」と教えてくれた。その新しいMuseumがいったいどこにあるのか訊ねてみたが、High Streetの端だ、と教えてもらっただけで、いったいどこのことをさすのか最初は分からなかった。しかし、ガイドの13番目に書いてあったThe Guild Hallが実はそのおじさんが言っていた新しいMuseumのことだと分かった。このThe Guild Hall MuseumはPart 1とPart 2があり、Part 2は完璧で豪華なDickens Museumになっている。表にはDickensの「Di~」の字も出ていないため、ここにDickensゆかりの品々が展示されているとは分かりづらい。端的に言えば、The Guild HallのPart 2がDickens Roomなのだ。High Streetの道路案内表を見てみてもDickens Centerの標識は黒く塗りつぶされていた。昔、Dickens CenterであったEastgate Houseの裏庭には「Chalet」(シャレー[軒が広く突き出た家])があり、説明書きによると、Dickensは1865年から1870年まで夏の間この家で別宅で執筆を続けていたらしい。もともとこの建物は彼の亡くなったGads Hill Placeにあったらしいのだが、移設されたということだ。Dickensはこの建物の二階で当時執筆中だったThe Mystery of Edwin Drood(未完)の最後の言葉を書いた。Rochester城からの眺めは天気がよかったおかげで本当に素晴らしかった。ChathamにはDickensのテーマパーク、「Dickens World」があるのだが、開園時間に間に合いそうになかったため断念した。今度近くに言った時には、是非、足を運ぼうと思った。
<追記>9月15日、ブログを書いた後で思い出したことだが、High StreetにはDickensにちなんだ面白い名前の店があった。昼食をとった店の名前はDickens Cafeと普通のなのだが、あるレストランの名前でインド料理とバングラデシュ料理の二つを扱っているレストランでその名も「A Taste of Two Cities」だ。おそらくDickensの小説「A Tale of Two Cities」(『二都物語』)のもじりだろう。iPhotoで写真をリサイズする方法を知ったので、昨日のChaletと一緒に小サイズの写真を載せておく。
 

2008年9月13日土曜日

大英博物館+Thomas Carlyle's House


11日午前中はホテルから歩いて行ける大英博物館へ行った。おそらく学校が始まればそんな余裕もないだろうし、行ける時に行っておこう、と考え足を運ぶ。入場料無料。フロアマップが£2だったが、記念にと思って購入した。改装された中央のギャラリーがとても奇麗で、なにか異次元空間に迷い込んだ気分だった。博物学にあまりあかるくないため、とりあえず有名なロゼッタ・ストーンとミイラを写真に収め、日本ギャラリーへ・・・。鎧兜はものすごい人気があった。ギャラリー・カフェでお昼ご飯をとって、次の作戦を練った。最初に頭に浮かんだのは観光ガイドにも載っていたDickensの「The Old Curiosity Shop」だ。日本では「骨董屋」と訳されて有名だが、そのモデルになった家なのか、それとも実在した由緒正しき骨董屋なのかは分からない。実際に行ってみると、閑古鳥が鳴いていそうな紳士服店だった。ただ家は確かにThe Old Curiosity Shopを思わせる古い家で、その家の上には「The Old Curiosity Shop immortalised by Charles Dickens」と書いてあった。さて、そうすると、この流れで彼のBlue Plaque探しでもしてみようかと思って、例の「BluePlaque.com」で検索。10件もヒットするではないか!でも1件目の「48 Doughty Street」は先日行ったDickens Houseのことだ。また、4件目に挙げられている「14 Great Russel Street」は大英博物館の前の通りを少し歩けばすぐに見つかる。やや小さめのレストランになっていたが、blue plaqueが開け放たれていたドアで隠れていたためまた写真を撮り直しにこようと決めた。「26 Wellington Street」はDickensが雑誌“All The Year Around”を編集していたオフィスとその間住んでいた彼のアパートだということだ。今、この場所はこれにちなんで、「Charles Dickens Coffee House」というカフェになっている。ものすごく感慨深いカフェだ。6件目の「Chandos Place 6」はDickensが少年の頃働いていた場所としてblue plaqueが掲げてある。感動的だったのは3件目に挙げられていた「15-17 Marylebourne Road」だ。最初、青い丸い標識(blue plaque)ばかりが頭にあって、それを探して歩いていた時には気づかずに素通りしていた。実はここにあるのはBlue Plaqueよりも素晴らしい壁に大きく彫られた記念碑だった!この場所でDickensは主要6作品を書き、壁にはDickensの肖像とその6作品の主な登場人物が彫られているのだ!あまりの素晴らしさに数枚同じ写真を撮ってしまった。さて、これで10件のうち、5件は実際に目にすることができた。残りの5件はまた別の機会に探すとしよう。
 12日は、午前中まずイギリスのコインランドリーでの初めてのお洗濯をした。コインランドリーはホテルから歩いてすぐのところにあって、まず£3で洗濯機が使え、続いて乾燥機は£1で15分使用できるものだった。一時間近くかけて洗濯が終了。初めは何も分からなかったので管理をしていたおばあちゃんが優しく使い方を教えてくれた。午後からは「Thomas Carlyle's House」へ。National Trustが管理するこのMuseumは小さな民家の一軒家だが、展示品は素晴らしかった。Nationarl Trustの会員だと無料らしい。入場料は£4.75。今日、金曜日は午後2時から5時までが開館時間で、到着したのは午後2時5分だった。ベルを鳴らすと老紳士がとても礼儀正しく迎えてくれて最初のイントロ解説をしてくれた。地下室から屋根裏部屋まで観て回ることができるのだが、印象的だったのは屋根裏部屋にあたる部分がCarlyleの仕事部屋で、そこには管理人のおばちゃんがいて、「カーライルは音にsensitiveだったため壁は二重になっているのよ」と教えてくれた。確かに、近隣も静かだがその部屋だけは防音室のような何か普通の部屋とは違う静けさを感じた。展示品にはカーライルが実際に使った机や眼鏡、読書用の椅子などがおいてあり、本当に感慨深かった。さらに驚いたことには夏目漱石もこの家を訪れていたということだ。開館当初から数十年分のVisitors Bookが展示してあり、夏目漱石の本名(夏目金之助)の直筆サイン「K. Natsume」がそこに書いてあった。ヴァージニア・ウルフと姉ヴァネッサもここを訪れており、二人の直筆サインも見られた。Thomas Carlyle's Houseの近隣は文学系観光にうってつけの場所とも言える。Cheyne Walkという通りにはGeorge Eliotの亡くなった家(4番地)、Henry Jamesがお祈りに通ったChelsey Old Church(64番地)、(ここにはSir Thomas Moreの立派な銅像もある)、Henry 8世のManor House跡地があり、少し足を伸ばせば、オスカー・ワイルドの住んだ家(34 Titte Street)とマーク・トウェインの住んだ家(23 Tedworth Square)まである!この辺り一帯のBlue Plaqueを一網打尽にしてきてやった。おかげで疲れてヘロヘロに・・・。明日は少しゆっくりしよう。。。

2008年9月11日木曜日

大ベンと小ベン?!


 9月11日の朝。9月10日はちょっとペースダウンした。午前中は、まず学生証を再発行してもらいに登録課へいった。申し込み用紙を出すタイミングが遅かったせいか、学生証は日本の実家に向けて発送されてしまったらしい。先日、メールで「学生証がいつもらえるのか?」と問い合わせたところ、「既に発行されているが、今手にしていないならばすぐに登録課へ行って、イギリスで受け取れるように再発行の手続きをしに行ってください」という旨の返信がきた。言われた通りの場所へ行って、再発行の手続きをした。数日後に近くのホテルまで郵送してくれるらしい。一件落着。
 さて、昨日はまず、ヴィクトリア駅まで行ってバスの路線図を手にした。観光ガイドに「最終的にはバスを乗りこなせるようになりたいものだ」と書いてあったので、それにはまずバスの路線図が必要だろうと考えた。無料でもらえる場所としてガイドブックに書いてあったのが、ヴィクトリア駅、ピカデリー駅、あるいはヒースロー空港駅だったので、一番近いヴィクトリア駅へ。。。バスはいくら乗っても僅か90ペンス。地下鉄はZone1内での乗車でも1ポンド50ペンスと、料金的にもバスの方がリーズナブルだ。それに、バスだと街並みをゆっくりと観ながら移動できるため、まだ観光者気分の自分としても都合がいい。
 ヴィクトリア駅へ行ったもう一つの理由は、Little Benを写真におさめるためだ。昔、なにかの本で読んだ時に「へ〜」と思ったのだが、Big Benは世界的にも有名だが、実はLittle Ben
も存在するということだった。それはヴィクトリア駅の駅前広場にあるらしい。行ってみると、確かにちっちゃい時計台があった。なるほど「リトル」ベンだ。一昨日はBig Ben、昨日はLittle Benとこれで二日続けて、大ベンと小ベンを拝んだことになった。
 さてさて、これでロンドンの地図(ホテルで無料でもらえた)、地下鉄の路線図(地下鉄の駅で無料でもらえる)、バスの路線図(バスターミナルで無料で配布されている)の主要3アイテムが揃い、ロンドン市内の移動が比較的賢明に行えるようになった。ヴィクトリア駅からはまず11番のLiverpool Street Station行きに乗って、辞書を編纂した、かの有名なDoctor Johnson's Houseを目指した。Aldwychというバス停で降りて、案内板を頼りに目的地へ。途中、案内板が不親切な場合もあって、迷ったがなんとか到着。£3.50でパンフレットを購入、写真は50ペンスを払うと撮ってもいいらしい。Johnson's Dictionaryの初版本を拝んできた。建物は4階建ての古い建物で、展示品は少なかったが、肖像画やこまごまとしたアイテムが興味深かった。Johnson's Houseを後にすると、映画『My Fair Lady』なんかにも出てくるCovent Gardenへ。。。ものすごい混みようだった。自分も含め日本人の観光客もけっこう見かけられる。その辺りで夕食をとりたかったのだが、あまりの人ごみの中でレストランを探すのも疲れたために、あとはホテルへ戻って、近くの中華料理屋へ。ホテルへつくとブログを更新することもなく眠りについた。

2008年9月10日水曜日

Blue Plaqueを求めて・・・


 Blue Plaque : 〈英〉ブルー・プラーク◆過去の著名人が特定の建物に居住、あるいはそこで活動していたことを示すために、その建物の外壁などにはめ込まれている青色のプレートのこと(英辞郎より)
 イギリスのいろいろなところにこのBlue Plaqueは発見できる。今日の前半はこれを手がかりにしたロンドン文学散歩二日目を展開した。お目当てにする著名人のBlue Plaqueがどこにあるかは、その名もBlue Plaque.com(http://www.blueplaque.com/)で見つけることができる。19世紀イギリスの小説家W.M.Thackerayに興味があるボクは、このサイトの検索項目に「Thackeray」と入力。結果は3件ヒットした。(1)2 Palace Green, (2) 16 Alvion Street, (3) 16 Young Streetだ。地図を頼りにこの3つの場所を実際訪れてみた。一件目は(3)で、このYoung Streetを通り抜けたところにはなんと「Thackeray Street」なる通り道もあった。この通りにはThackerayにちなんだギャラリー「Thackeray Gallery」や不動産屋「Thackerays」などがあり、さらには小説「Henry Esmond」より名前をとったと思われる「Esmond Court」という建物まであった。Blue Plaqueの埋め込まれていた建物は今はThe American International Richmond University in Londonの商学部(School of Business)になっていた。二件目は(3)よりそれほど離れていないところなのだが高級住宅街らしき所にある。何よりも驚き、そして残念だったのはこの家は今はイスラエル大使館になっていて、物々しい警備(警察官3人と鉄製の大きな大きなバリケード)がしかれており、写真撮影は一切禁じられていたことだ。カメラをもって近づくだけで、警官が近寄ってきて注意を受けた。1995年4月に書かれたBnetの記事(http://findarticles.com/p/articles/mi_m2242/is_n1551_v266/ai_16871067/pg_3)によると、この建物はテロリストの爆弾によって損壊した・・・とか。。。なるほど。警備も厳重な訳だ。おかげでせっかく訪れた彼のKensington Houseも写真を一枚も撮ることなく終わってしまった。さて、三件目が一番見つけやすく、本当の意味でのBlue Plaqueがあった。(前の二件はBlue Plaqueと言っても、実際は円形の茶色銅板なのだ)掲載した写真はこの三件目のBlue Plaqueだ。さて、その後(今日の後半)は、ベタなロンドン観光をした。ウェストミンスター寺院、ビッグ・ベン、ロンドン・アイ、モダン・テイト、グローブ座、ミレニアム・ブリッジ、セント・ポール寺院、などなどだ。ロンドン名物の二階建てバス(Double Decker)が随分乗りやすくなっていたのも驚きだった。

2008年9月9日火曜日

ロンドン文学散歩


今日は一日、ホテル周辺を歩いてみた。周りを歩くだけで文学関係の名所に行き当たる。写真を閲覧しながら今日見たものを箇条書きしてみた。最後は回転寿し屋(Yo!Sushi)を見つけ、晩ご飯は誘惑に負けてそこへいってしまった。。。一日歩き疲れた。写真はDickens House Museum。

1. YMCAの創設者Sir George Williamsの住居(1821-1905)
2.T.S.Eliotが働いていたFaber&Faber出版社
3.UCL(University College of London)のSOAS(School of Oriental and African Studies)
4.Birkbeck College, University of London
5.Birkbeck College, Clore Management Centre
6.The Warburg Institute
7.UCL, Slade School of Fine Art
8.Christina Rosettiが生涯過ごした家
9.Birkbeck Department of Psychology, Centre for Brain and Cognitive Development
10.Gordon Saure Garden(Bloomsbury Groupの拠点の一つ)
11.経済学者John Keynes(1883-1946)の住んだ家(1916-1946)
12.Bloomsbury Groupの数人が住んだ近辺(例:Virginia Woolf, Clive Bell, The Stracheys)
13.Lytton Strachey(1880-1932)が住んだ家
14.Tavistock Square内 - Consciencious Objectors to Military Serviceの記念碑
           - 広島原爆の犠牲者を悼んで植樹された木
15.Charles Dickensが1851-1860まで住んだTavistock Houseの近く
16.Woburn Walk内 - W.B.Yeatsの住んだ家
17.St.Pancras教会(カソリック)
18.British Library
19.St. Pancras Station(Eurostarの発着所を中心に)
20.Charles Dickens House Museum(Dickensの住んだ家)
21.Lillian Penson Hall
22.Hyde Park とKensington Garden
23.Hyde Park内 - Peter Panの銅像
       - The Diana, Princess of Wales, Memorial Fountain
24.Cafe Lido
25.The Wellington Arch
26.Yo!Sushi-日本料理店

2008年9月8日月曜日

ロンドン到着!


9月7日、早朝にロンドンへ発った。空港に到着したのは同日の午後3時頃。朝10時に離陸し、11時間半ほどのフライトだった。ヒースロー空港の地下鉄Terminal 駅でオイスターカードを購入。Russel Square近くのホテルまでは地下鉄で1時間ほどだった。しかし、ここで事件が・・・。乗った列車がRussel Square駅に停車しない。近くまでいくと、素通りされた!日曜日(9月7日)は工事のため閉鎖しているらしい。仕方なしに、Holrborn駅まで戻って、そこからスーツケースを転がして歩くことに。。。おかげで今日9月8日の早朝は朝から筋肉痛とのどが痛い。。。そうそう、前もってホテル近くの駅まで地下鉄の経路を調べたのだが、日本でいう「乗り換え案内」あるいは「Navitime」みたいなサイト(http://www.tfl.gov.uk/)があったので、これは使えそうだ!ホテルはこじんまりとした中級クラスのホテル。シャワーとトイレは共同で、部屋にはテレビもないが、共同部屋にはWifiとテレビがある。このブログもおかげで滞りなく更新できるというわけだ。昨日(現地時間7日)はホテルに到着したあと、一段落すると、さっそく、周辺を散策しにいった。五分ほど歩けばBritish Museumがあり、入学予定の大学もあった。晩ご飯はMunchkinというレストランで、ベタな話だが、Fish & Chipsを注文。ホテルに戻ってからはほとんど何もすることなくシャワーを浴びてすぐに就寝した。

2008年9月6日土曜日

慌ただしい一週間+Nokia E61は素晴らしい!!


1日にブログを書いたと思ったら、もう5日の深夜(6日の朝4時半)じゃないか!今週は何かと慌ただしかった。2日は母校の大学院へ所用を片付けに、3日は母校の大学に書籍をコピーしに、4日は一日パソコンのメンテナンス、5日は散髪、携帯の解約、手紙やメールの送信と新たな携帯のセットアップなどなどだった。携帯はモベルコミュニケーションズのワールドSIMカード(無料)を購入(送料のみ)。端末はNokia E61の中古を「携帯リサイクル」というお店で格安で購入した。Nokia E61はMacとの相性も抜群でほとんど小さなPCと考えられるぐらいの優れものだ。小さくて薄いのにフルキーボード付きで、通信も無線LANにBluetooth, 赤外線通信まで可能。アドレスや予定表、To doリストもMacの標準ソフトiSyncで一発同期。パソコンのメールも普通に読める。カメラやワンセグ、お財布機能などはついていないが、メールにインターネット、通話等はこれで十分すぎるくらいできてしまう。何よりもうれしいのは無線LANが使える環境では「fring」なるソフトを使ってSkypeフォンとして使用できてしまうのだ!大学のキャンパスや学寮ではIDを既にもらっていて、無線LANが使えそうなので格安でSkypeを使って電話等ができそうだ。疲れた。。。。

2008年9月1日月曜日

さぁ、9月1日!



8月30日は数年ぶりに地元の夏祭りにを観に行った。三十路にもなってまだ実家の地域の年行事のの一つに参加するのはさすがに気がひけたが、行ってみると知っている人もほとんどおらず、どこかで見かけたような顔をちらほらと目にする程度だった。知らない間に自分の住んでいる地域も時間が大きく流れているんだと実感した、と同時に、今年の夏はこの夏祭りをもって日本の夏を最高に満喫した夏だったと思いを巡らせていた。市民プールに湖にBBQ・・・友人との旅行や夏祭り。。。ここ数年味わっていない人間的な喜びの多い最高のバケーションだった。31日は渡英に必要な日用品を地元のスーパーへ甥っ子と自転車で買いに行った。さて、今日はいいよ9月1日。公立の学校が二学期をスタートさせ、ボクも何か始動を!と思い、部屋を片付け、旅行の後始末をし、実質的な意味での留学準備を始めた。写真は先日、旅行に行った際、親しい友人からもらったフレキシブル・カレンダーだ。ピースを組み替えることによって一年中どの年でも毎月のカレンダーが表示できるというスグレもの。このカレンダーの「1」という数字に今日の日付を強調するスライダーを動かすとなんだか「いっちょ、動き出すか!」という気持ちになってきた。