9月20日(土)。引き続き天候に恵まれたため、どこか散歩を兼ねて出かけようと決めた。旅行ガイドブックに載っていて、気になっていたのが「倫敦漱石記念館」だ。ここの最寄り駅は地下鉄Clapham Common駅だが、同じようにこの駅へと向かうバスも出ている。ロンドンと言っても随分南のほうにあるのだが、ちゃんとバスは出ていた。ホテルからはまずEuston Roadを西へ歩き、地下鉄Great Portaland Street駅へと向かう。そこから、北はCamden Townから南はClapham Commonまで走っているバス88番に乗っていけば、かなりの距離を乗っても90ペンスだ。週末のロンドンは地下鉄の幾線かが、改修工事のため途中までしか行けなかったり、場合によっては一つの路線がまるまるお休みになることもある。そのため、バスの方がまだ信頼が置けるのだ。。。と思っていた。ところが、だ。Great Portland Street駅付近のバス88番の停留所を見つけてそこでバスを待っていてもなかなか来ない!20〜30分近く待っただろうか。。。バス停の案内には毎時7〜10分で来ると書いてあるのに。。。待っていると、気の優しいおばさんが声をかけてくれた。「何番のバスを待っているの?」「88です」「私もC2番を待っているけど、なかなか来ないのよ」「今、ちょうどお昼の1時半から2時ごろでしょ。おそらくどこか近くでマーチ(行進)をやってて、その場合はバスが別ルートをとるのよ」だって。。。我慢強くもう少し待ってみたが、僕もおばさんもあまりに来ないバスにあきらめをつけ、ボクは「ありがとう」と言って、仕方なしに地下鉄で行くことにした。さぁ、そうすると余計に大変だ。もう一度プランを練り直すために地下鉄の路線図(Tube map)を見ていると、二人の人に声をかけられた。一人は日本人だ。「サッカーのかたですか?」だって。ボクが「は?」と答えると、「ああ、違うか」と言って、そそくさとどこかへ消えていった。思えばむちゃくちゃ気になる質問だった。どこか近くで日本人選手の出場するサッカーの試合でもあるのだろうか ?気になって、今でもこの答えは分からない。もう一人は、どこの国か分からないが、優しそうなお姉さんだった。地下鉄の路線図を不安そうに見つめているボクの様子を察して、「Can I help you?」と尋ねてくれたのだが、ボクは「I'm OK. Thanks.」と答えて、それで会話が終わってしまった。考えてみれば、正直に「Clapham Commonに行きたい」と言えばよかったのだが、自分でゆっくりと行き方を考えてみたかった。せっかくの会話のチャンスを無駄にしてしまったのも後悔の種の一つだ。結局、ボクの練った経路は、Great PortLand StreetからCircle Lineに乗って、一駅、Baker StreetでBakerloo Lineに乗り換え、Charing Crossまで、そこから再度Nothern Lineに乗り換えて、Clapham Commonという順路だった。しかし、地下鉄は全部ちゃんと動いてくれているだろうか???と不安に思いながら、駅の案内やアナウンスに目を凝らし、耳を傾けていたが、なんとかCharing Crossまでは行くことができた。そこから南へ下るにはそのままNother Lineをと思ったのだが、もうそのころには「行進」も終わっているだろうと、Caring Cross駅で地上に出て、再び88番のバス停を探す。無事に見つけられると、すぐにバスがやってきた。「あ〜よかった」とホッとしながら、二階席の一番前に乗る。日差しがきつくて、暑くて仕方なかったが、観光バスに乗る気分だった。Clapham Common駅前に到着。Clapham Commonはすごく広大な公共公園になっている。天気がよかったため大勢の人たちが日光浴を楽しんでいた。最初はネットからダウンロードした付近の地図を読むのに手間がかかったが、次第になんとか地図に載っている通りの名前を見つけ、まずは漱石のBlue Plaqueを見つけることができた。周囲は本当に閑静な住宅街で、記念館やミュージアムなどがそこに存在するとは想像だにできない場所である。Blue Plaqueは2002年の3月22日に設置されたため、まだきわめて新しいものと言える。漱石記念館館長の恒松先生が半生をかけて設置にこぎつけられたBlue Plaqueである。さて、記念館の隣の建物やその周辺の住宅はほとんどが貸しにだされていて(所謂「To Let」の看板が立っていて)、最初記念館の前に立ったときはひょっとしたら、もう記念館のある場所も売りに出されているんじゃないかと思ったほどだった。The Chaseの81が漱石の下宿跡、その向かいにある80bが記念館だ。80bの記念館のある家のドアベルの横に、すごく小さなプレートが貼ってあって、「SOSEKI MUSEUM IN LONDON、以下、OPENING TIMES云々」などの情報が記されてあった。恐る恐る、80bのドアベルを押すと、インタホンで「はい、漱石記念館です」という声が聞こえ、どう、答えていいか分からないまま、黙っていると「Hello?」と言われてしまった。慌てて、「すいません、あの〜」と切り出すと、「ああ、ドアを開けてお二階へおあがりください」という声が聞こえてきた。おそらくこの記念館におられる方は、恒松先生の奥さんだと思われる。(というのも、ここで購入した本(後に記載)に、記念館を管理している奥様と息子さんへの謝辞が書いてあったからだ。この時はさすがにそんなことも知らなかったし、尋ねることもできなかった。)最初に説明を受けて、学割料金£3で見学させてもらった。館内の写真もOKだとはなんとありがたいことだ。展示は時間があったので、最初からパネルを一枚一枚丁寧に読んでいった。夏目漱石のロンドンでの足跡が非常によく分かり、今の自分と多少かぶるところもあって、ものすごく興味深く、かつ感銘を受けた。見終わった後は絵はがき3枚と恒松先生の著書『こちら倫敦漱石記念館』を購入。館のほとんどの展示品の写真を撮って、来館者名簿に名前を書き記し、「ありがとうございました」と深々と頭を下げてその場を後にした。漱石がロンドンに留学した期間は2年2ヶ月。文部省より留学を命じられたのは33歳の時で、奥さんと一人の子供がいて、もう一人の子が生まれる直前のことだったらしい。当時は手紙が届くのに約40日前後。日本政府より支給される留学費用をほとんど書籍の購入に当てたという。そのため、帰国の際には日本に4〜500冊の本を持ち帰ったらしい。慣れない土地での奮闘ぶり、文学研究への情熱、書物に懸ける想い、孤独、などなど、留学中の夏目漱石の暮らしぶりに胸を打たれた。「下宿籠城主義」の後、「夏目狂セリ」という電報が送られ、帰国直前にはノイローゼに罹っていたとか。。。そんな漱石の状態と比べれば今、自分の置かれている状況はなんと恵まれていることか、とつくづく感謝の念が湧いた。漱石記念館へはバス一本でうまい具合に行っていれば、一時間半程で往復してこられるはずだった。そのため、その後は大学図書館に戻って勉強しようという予定だったが、記念館に行くだけでなぜか2時間近くもロスしていた。故に、帰路についた時はもう5時ぐらいだった。(図書館は夕方5時まで)帰りは予定通りバス一本でGreat Portland Street駅に帰着。Euston Roadを今度は東へ歩いていると、£6.50でビュッフェスタイルの中華料理屋を発見。お持ち帰りだと、£4.50なのだが、ホテルでは温かいご飯を食べるのに部屋では食べられず、食堂に行かなくてはならない。そのため、そのレストランで「Eat in」した。帰宅後は、写真を見返しながら、心に残った漱石の言葉をPCに打ち込んだ。以下、それらを載せておく。
「倫敦に住み暮らしたる二年は尤も不愉快の二年なり」『文学論』
「余は英国紳士の間にあつて狼群に伍する一匹のむく犬の如くあわれなる生活を営みたり」
「西洋にては金が気ガヒケル程入候留学費でどうしてやるかが問題に候」
長尾半平の言葉
「当時夏目さんは、文部省から送って来る僅少な学費で暮らしていたが、その学費も大半は書籍を買ふのに費やされて、其残額で暮らしているというような有様で、実際気の毒な位貧乏なくらしをしてをられた」(『ロンドン時代の夏目さん』)
「夜池田ト話ス理想美人ノdescriptionアリ 両人共頗ル精シキ説明ヲナシテ両人現在ノ妻ト比理想美人ヲ比較スルニ殆ド比較スベカラザル程遠カレリ大笑ナリ」
(日記)池田=池田菊苗*味の素の開発者。
「倫敦の方はいやな処もあるが社会が大きい女皇が死ねば葬式が倫敦を通る王が即位すれば「プロクラメーション」が倫敦である 芝居に行きたければWest Endに並んで居る 夫から僕に尤も都合の善いのは古本をさがすには(新い本でも出版屋は大概倫敦である)此処が一番便利である 以上の訳で先ず倫敦に止まる事にいたした」
「University Collegeへ行って英文学の講義を聞たが第一時の配分が悪い 無暗に待たせられる恐がある 講義其物は多少面白い節もあるが日本の大学の講義とさして変つた事もない汽車へ乗って時間を損して聴に行くよりも其費用で本を買つて読む方が早道だという気になる」
「なるほど留学生の学費はお話にならないくらい少ない。ロンドンではなおなお少ない少ないがこの留学費全体を投じて衣食住のほうへ回せば我輩といえども、もすこしは楽な生活ができるのさ。それは国にいる時分の体面を保つことは覚束ないが、とにかくこれよりも薩張りした家へはいれる。しかるにあらゆる節約をしてかようなわびしい住居をしているのはね、一つは自分が日本におった時の自分でない単に学生であるという感じが強いのと、二つ目にはせっかく西洋へ来たものだからなることなら一冊でもよけい専門上の書物を買って帰りたい欲があるからさ。」「倫敦消息(1)」
「余は下宿に立て籠りたり。一切の文学書を行李の底に収めたり。文学書を読んで文学の如何になるものなるかを知らんとするは血を以て血を洗ふがご如き手段たるを信じたればなり。余は心理的に文学は如何なる必要があって此の世に生れ、発達し、頽廃するかを極めんと誓へり。余は社会的に文学は如何なる必要があって、存在し、隆興し、衰滅するかを究めんと誓へり。」『文学論』

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